黄土色と青緑色の壁や床に、点線と円が重なる室内の抽象画
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退去後に届いた50万円の見積もり

退去が出て、管理会社から原状回復工事の見積もりが届いた。

50万円。

前回はここまでかからなかった気がする。クロスの張り替え、床の補修、設備の交換。いろいろな項目が並んでいるけれど、最後の合計金額を見ると、まず「高いな」と思う。

何部屋も賃貸経営をしていれば、大家さんにも少しずつ相場感はついてきます。いつもの退去なら、高くても30万円前後だった。この間取りで50万円は少し高いのではないか。そう感じれば、「もう少し削れませんか」と言いたくなるのも自然です。

ただ、退去後の工事費用は、金額だけを見ても要不要を判断しにくいものです。

たとえば、室内で長くたばこを吸っていた部屋なら、クロスが破れていなくても、ヤニや臭いが部屋全体に残っていることがあります。一部分だけ新しくしても、ほかの壁との色の差が目立ち、臭いも残る。それなら、全面を張り替えることになります。

床も同じです。小さな傷が一か所だけなら補修で済むかもしれません。でも、あちこちに傷があり、一つずつ直していく方が手間も費用もかかるなら、いっそ張り替えた方がよい場合もあります。長く住んでいた部屋では、内装だけでなく設備も古くなっていて、退去を機にいくつか交換が重なることもあります。

こういう部屋なら、次の人に貸せる状態へ戻すだけでも、それなりのお金がかかります。

そして、実際に部屋をきれいにしようとすると、今度は別のところが気になってくるものです。

クロスを全部張り替えると、それまで目立たなかった古いインターホンが急に目につく。白くなった壁に、黄ばんだ古い受話器だけが残っていると、そこだけ時間が止まったように見えます。

キッチンも同じです。傷んだキッチンを新しくしたのに、換気扇だけ昔のプロペラ扇のまま残っていると、新しくなった部分より、残した古い部分の方がかえって目立つことがあります。

管理会社もそれを見越して、「せっかくここまできれいにするなら、テレビモニター付きインターホンに替えませんか」「換気扇も一緒に替えた方が、部屋全体の印象はよくなります」と提案します。

そこへ現在の募集市場も重ねて、温水洗浄便座を付ける、照明器具を替える、シャワーヘッドを少し使いやすいものにする、小さな棚を造作するといった付加価値の工事が加わることもあります。

一つひとつは、それほど大きな工事ではありません。それでも重なれば、見積もりは少しずつ膨らんでいきます。

つまり、同じ50万円の中にも、次に貸すためにどうしても必要な工事もあれば、古さを目立たせないための工事、次の入居者に選んでもらいやすくするための工事も入っています。

だから、合計金額だけを見て「高い」と判断する前に、まず確認したいことがあります。

50万円を40万円にできるかではなく、この50万円で何をしようとしているのか。

そこが分かってから、削るかどうかを考えます。

どこまで直すかは、この部屋をこれからどうしたいかで変わる

では、見積もりの中にテレビモニター付きインターホンや温水洗浄便座が入っていたとして、それは必要な工事でしょうか。

ここは、見積書だけを見ても答えが出ません。

一度、自分の物件と同じような家賃、間取り、築年数の部屋をポータルサイトで検索してみます。入居者が部屋を探すときと同じように条件を入れて一覧を見ると、自分の部屋と実際に比較される物件が並びます。

そのほとんどにテレビモニター付きインターホンがあるのに、自分の部屋だけ昔のインターホンのままなら、それはもう単なる贅沢な設備とは言いにくくなります。

同じような家賃で並んだとき、片方には付いていて、片方には付いていない。それだけで候補から外れる人もいるでしょう。

反対に、近隣の競合物件にもほとんど付いていない設備を、「あった方がおしゃれだから」という理由だけで加えるのであれば、本当に今必要なのかは考えてもよいと思います。

自分で見てもよく分からなければ、その地域で実際に入居者を案内している仲介店へ聞いてみる方法もあります。

「最近、この辺りではどんな部屋が決まっていますか」

「うちの部屋は、お客さんに勧めやすいですか」

「どこが変われば、もう少し紹介しやすくなりますか」

仲介の現場では、設備の有無だけではなく、「この間取りなら、こういう人に勧めやすい」「この家賃なら、この部分が弱い」といった話が出てくることがあります。そこまで聞くと、単に何を付けるかではなく、どんな人に選んでもらう部屋にするのかも少しずつ見えてきます。

そして、もう一つ考えておきたいのが、この物件をこれからどうしたいのかということです。

近いうちに売却する予定で、大きなお金はかけず、多少家賃が下がっても早く入居が決まればよいと考えているなら、最低限必要な原状回復だけにとどめる選択もあります。

反対に、この先も長く持ち、いずれ息子や娘へ引き継ぐつもりなら、今のうちに少しずつ設備を更新し、家賃を落としにくい状態にしておきたいと考えることもあるでしょう。退去のたびに小さく手を入れながら、収益力を維持した状態で次の世代へ渡したいのであれば、今使う数万円の意味も変わってきます。

同じテレビモニター付きインターホンでも、ある物件では「今回はなくてもよいもの」になり、別の物件では「今付けておきたいもの」になります。

必要か不要かは、設備そのものだけでは決まりません。この部屋を次にどんな条件で貸したいのか、この物件をこれからどう経営していきたいのか。その二つを重ねて考えることで、判断しやすくなります。

20万円削ったら、何が残るのか

それでも、50万円は高い。できれば30万円くらいにしたい。

そう思うこともあるでしょう。

工事を削ること自体は、それほど難しいことではありません。どこかの工事をやめれば、見積もりは下がります。

ただ、考えておきたいのは、20万円削ったあとにどんな部屋が残るのかです。

たばこのヤニでクロスを全面的に張り替えなければならず、床もかなり傷んでいる。そういう部屋なら、元へ戻すだけでかなりの費用を使います。

そこから20万円削ろうとすれば、クロスの一部を残す、床をそのままにする、ほかの傷んだ部分には手を入れない。そうしたところまで考えなければ、金額は下がりません。

反対に、通常の原状回復に加えて、設備の更新や小さな造作がたくさん入っている見積もりなら、その部分を見送ることで工事費を抑えられます。

ただ、その設備が近隣の競合物件には普通に付いているものだったら、今度は募集の方へ影響するかもしれません。家賃を今までと同じ水準で維持しにくくなったり、似た条件の物件と並んだときに見劣りしたりして、結果として家賃を下げることになるかもしれません。

空室期間が少し長くなることもあれば、今回見送った設備を次の退去で結局交換することもあります。必ずそうなるわけではありませんが、工事費として使わなかった20万円が、別の形であとから表れることはあります。

だから、「20万円削れるか」と考える前に、その工事をやめたら何が変わるのかを考えてみます。

そのうえで、「今回は家賃が少し下がっても構わないから、ここまではやらない」と決めるなら、それは一つの経営判断です。

反対に、何を削るのかよく分からないまま、「とにかく20万円下げて」と頼めば、出来上がった部屋を見てから、残したかったところまでなくなっていたことに気づくかもしれません。

金額を削ることと、無駄を削ることは同じではありません。

何をやめるのか。その結果、部屋に何が残るのか。

そこまで分かって初めて、本当に削ってよい20万円なのかを考えられます。

安い材料なのに、どうして工事費は高くなる?

見積もりを見ていて、もう一つ「高い」と感じやすいところがあります。

工事の単価です。

たとえばクロス貼り。

インターネットで調べると、賃貸住宅でよく使うクロスそのものは、それほど高くありません。それなのに管理会社から出てきた見積もりを見ると、材料の値段とは何倍も違う施工単価が書かれている。

材料の金額を知っていると、「ずいぶん上乗せされているな」と思うかもしれません。

でも、大家さんが頼んでいるのは、巻かれたクロスそのものを買うことではありません。

技術を持った職人が現場へ来て、古いクロスを剥がす。剥がしたあとの下地を確認し、傷や凹凸があれば補修して整える。糊を用意し、新しいクロスを貼り、端や継ぎ目まで仕上げる。

その部屋を、次に貸せる状態まで仕上げてもらう仕事を頼んでいます。

原状回復全体で見れば、さらにいろいろな人が動きます。

クロスを貼る人がいて、大工工事をする人がいる。水道工事なら水道業者、電気工事なら電気業者、傷の補修ならリペアの職人が入り、塗装が必要なら塗装職人、最後にはハウスクリーニングも入ります。

一人で何でもできる職人が全部やれば、もっと簡単に済む工事もあるかもしれません。でも実際には、それぞれの仕事をそれぞれの職人が担当することが多く、そのたびに現場へ人が入り、仕事をします。

見積もりの中には、材料だけでなく、そうした人の手と時間も含まれています。

だからといって、大家さんが職人ごとの人工や材料原価を全部覚える必要はないと思います。

何度か退去と原状回復を経験していれば、「この広さでクロスを全部張り替えるなら、このくらい」「今回は設備交換が多いから高くなっているな」と、少しずつ相場感が身についてきます。

まだよく分からないなら、一度、工事中の部屋を見せてもらうのも手です。

工事担当者に工程を聞き、「邪魔にならない時間に少し見てもいいですか」とお願いして、差し入れでも持って現場へ行ってみる。

昨日は大工さんがいて、今日はクロス屋さんが入っている。クロスを貼る前には、思っていたより長い時間をかけて下地を整えている。明日は水道屋さんが来る。

完成した部屋だけを見ていたときには分からなかった工程が見えてきます。

実際の仕事を知ると、「クロスそのものは安いのに、どうしてこんなにするんだ」という見方だけでは足りないことが、だんだん分かってきます。

もちろん、高ければ何でも妥当だという話ではありませんし、値段を下げてもらうことが悪いわけでもありません。

ただ、無理に金額だけを下げれば、工事をする側もどこかで帳尻を合わせなければならなくなります。材料を変えるのか、施工範囲を減らすのか、作業にかける時間を短くするのか。完成した瞬間には分かりにくい下地処理や仕上げにしわ寄せがいけば、後になってクロスが割れたり、剥がれたりすることもあります。

1万円安くしてもらったつもりが、その裏でそれ以上の仕事まで失っていたのでは、安くした意味がありません。

工事費を見るときは、「いくらまで下げられるか」だけではなく、その金額の中で何をしてもらっているのかも一緒に見ておきたいところです。

見積もりを見る目的は、値切ることではない

原状回復の見積もりを見て「高いな」と感じたら、まず、その金額になっている理由を聞いてみます。

見積書に「原状回復工事一式」としか書かれていなければ、何が含まれているのか説明してもらってよいと思います。

窓口になっている管理会社の担当者が、工事の細かな理由まで説明できないこともあります。そんなときは、実際に見積もりをつくった工事担当者につないでもらえばよいでしょう。

そこで知りたいのは、専門的な施工方法ではありません。

次に貸すためにどうしても直さなければならないところなのか、今の部屋の価値を落とさないために直しておいた方がよいところなのか、それとも次の募集で選んでもらいやすくするために、もう一段よくしようとしているところなのか。

その違いが分かれば、見積もりの見え方も変わります。

そこから、自分の物件をこれからどうしたいのかと重ねて考えていきます。

近いうちに売却するのであれば、今回は最低限の原状回復までにしておく。これからも長く持ち、今の家賃水準をできるだけ維持したいのであれば、競合物件と比べて不足している設備には今お金をかける。

どちらも、その理由を分かったうえで大家さん自身が選んだのであれば、筋の通った判断です。

管理会社から提案されたものを全部やる必要はありませんし、反対に、高いからという理由だけですべて削る必要もありません。

原状回復の見積もりを見るときに大切なのは、一円でも安くすることではなく、今この部屋に必要なものと、今は必要ないものを自分で分けられるようになることなのだと思います。

次に見積もりが届いて「高いな」と思ったら、金額を削る前に、その中の一つを取り上げて聞いてみてください。

「これは、何のために必要な工事ですか」

その理由を聞きながら見積もりをもう一度眺めてみると、同じ50万円でも、残したい工事と、今回は見送ってよい工事が少しずつ分かれてきます。

必要なものには必要なときにお金をかけ、今は必要ないと思うものにはかけない。そうして自分で選べるようになることが、見積もりを「高い・安い」だけで見るところから一歩進むことなのだと思います。