罫線の引かれた報告書が一枚めくれ、その奥に集合住宅の部屋の断面が見えているイラスト
公開

退去が続くと、手を打つ先は募集に偏りがち

退去の連絡が、また入りました。

理由を聞けば、転勤だそうです。その前は結婚。そのもっと前は、勤務先の近くに移るという話でした。

一件ずつ見れば、どれも納得のいく理由です。暮らしが変われば、住む場所も変わる。こちらが何かを間違えたから出ていく、という話ではありません。

ただ、並べてみると、なんだか最近、多い。

入退去の多い季節でもないのに、ぽつりぽつりと空きが出ます。気にはなるものの、退去の連絡をもらった頃には、もう引越しの話が進んでいます。出ていくかどうかを決めるのは入居者ですから、こちらにできることは限られます。

だから、出ていった分を、また募集する。なかなか決まらなければ家賃や募集条件を見直し、設備を足すこともある。やっと入居してもらっても、別の部屋で退去が出れば、また工事代や広告費がかかります。

バスタブの栓を抜いたまま、お湯を入れ続けているような気分です。お金も手間もかけているのに、なかなかいっぱいにならない。

けれど、手を打つ先は、いつも募集のほうです。最近出ていった部屋の全部が、どうしようもない退去だったのでしょうか。

そう言い切れるほど、何かを確かめたわけでもありません。もう少し早く気づいていれば、長く住んでもらえた部屋もあったのではないか。

思い当たったのは、クレームでした。正確に言えば、その中身を、ちゃんと見たことがなかったということです。

入居中の困りごとは、月次報告に届いている

ここでいうクレームには、苦情だけでなく、入居者からの相談や不具合の報告、修繕依頼も含みます。

エアコンが止まった。上の階の物音がうるさい。ゴミ置き場がいつも荒れている。連絡したけれど、その後どうなったか分からない。設備のことも、人とのことも、そこで暮らすうえでの困りごとです。

一つひとつは小さく見えても、毎日続けば気になります。そうした不便や不快さが積み重なって、引越しを考えるきっかけになることもあるでしょう。

もちろん、クレームがあったから退去したとは限りません。ただ、退去のときに聞いた理由だけでは、それまでの住み心地までは分からない。その手がかりが、入居中の連絡に残っているかもしれません。

管理会社に対応を任せていると、大きな修繕などのお金のかかる相談以外は、月に一度届く報告書で初めて知る話もあります。何月何日、何号室から、どんな連絡があり、どう対応したか。その履歴です。

もし毎月の報告に載っているなら、まずは手元の一枚を開いてみる。入金や支出の書類と一緒に受け取っていた、あの記録です。

報告書を見ると、ほとんどが「対応済」

出してきて、見てみます。

日付と部屋番号があり、連絡の内容と対応が並んでいます。「エアコン不調、応急対応にて復旧」。短い一行ですが、何が起きて、どうしたのかは分かります。

ほかの項目も、ほとんどが「対応済」です。未完了のまま残っているものも、特には見当たりません。管理会社は、ちゃんと動いてくれています。

なるほど、こんなものか。思っていたより、きちんと書いてある。

そう思って閉じようとしたところで、ひとつ気になりました。

「対応済」だけでは、その後の住み心地は分からない

たとえば、101号室のエアコンです。

応急の対処でいったん動くようになったと聞き、交換まではしませんでした。報告書にも「対応済」とあります。ただ、その後も普通に使えているのかは、この一行からは分かりません。

調子よく動いているのかもしれない。少し不調は残っているけれど、もう一度連絡するほどではないと思われているのかもしれない。

対応したことは分かっても、困りごとがなくなったかまでは、「対応済」の三文字だけでは分からないのです。

もうひとつ、303号室が目に留まります。隣室の物音について、数か月のあいだに何度か連絡が入っています。そのつど対応してもらい、どれも「対応済」になっています。

けれど、同じ相談が続いている。この方は、いまどれくらい困っているのでしょうか。

電話を受けた担当者なら、話し方や、繰り返し訴えていたことを覚えているかもしれません。でも、「隣室の生活音について申し出あり」という一行になると、その切実さまでは伝わりにくくなります。

紙には、声の温度までは乗りにくい。

さらに、記録に見当たらないこともあります。先月、物件を見に行ったとき、共用部に私物が置かれていました。しばらく置いたままのようでしたが、手元の報告には載っていません。

誰からも連絡がなかっただけなのかもしれません。でもそれは、誰も気にしていないという意味ではないでしょう。

通るたびに少し邪魔だと思っていても、わざわざ連絡するほどではない。そういう不満もあります。連絡の履歴を読むだけでは、まだ声になっていない困りごとは見えてきません。

これは、管理会社が仕事をしていないという話ではありません。実際に解決したこともあるでしょうし、報告書の様式や、どこまで記録するかも会社によって違います。

ただ、簡潔にまとめられた記録だけでは、対応後の様子や、入居者の受け止め方まで分からないことがある。そこは、少し聞いてみないと分かりません。

そう思って読み返すと、この半年に出ていった部屋には、どんな連絡があったのかも気になってきます。

気になる一件を、管理会社の担当者に聞いてみる

次に担当者と話すとき、気になる一件について聞いてみてはどうでしょう。

「あのエアコン、応急対応のあとも問題なく使えているか、分かりますか」

あるいは、何度か相談が続いている部屋について。

「物音の件、その後はどうですか。お話を聞いた感じでは、かなり困っていそうでしたか」

担当者にも分からないことはあるでしょう。印象だけで入居者の気持ちを決めつけることもできません。それでも、報告書の一行だけで終わっていた話に、その後の様子や、確認できていないことが加わります。

報告書の一文以外にも共有してもらえると助かる情報が見えてきたら、今後も教えてもらえないか聞いてみます。たとえば、同じ相談が続いているときや、対応後も困っている様子があるときなどです。管理会社の手間もあるので、どんな形なら無理なくできるか、一緒に考えるとよいでしょう。

入居者からの連絡は、自分の物件で暮らしている方が、わざわざ伝えてくれた声です。「対応済」を確認するだけでなく、何に困り、それがどうなったのかにも、少し目を向けてみる。

それで退去を防げると決まったわけではありません。ただ、何かできることがあるなら、退去の連絡をもらう前に気づきたい。そのために、すでに届いている声を、もう少し受け取れるようにしておきたいと思うのです。

どこで、何が、どれくらい続いているのか。何をどうするかは、それが見えてから考えればいい。

クレームには、そこで暮らす人にしか分からない不便が表れています。経営のヒントは、その中にもあります。