開いたノートの上に数枚のメモが重なり、手前の一枚に三つの項目が書かれているイラスト
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「そのときが来たら考えよう」で、今年も終わる

同じように賃貸経営をしている知り合いから、「〇〇さんが入院されたらしい」と聞くことがあります。

しかも、話はそこで終わりません。「あのアパート、息子さんが困っているみたいだ」——物件のことまで、耳に入ってくる。

そんな話を聞いた夜、ふと思うことはないでしょうか。

もし自分が倒れたら、あのアパートはどうなるんだろう。

頭をよぎるけれど、考え始めると気が重い。だから、いつもの結論に落ち着きます。「まあ、そのときが来たら考えよう」

今も経営は回っていますし、判断に困っているわけでもありません。それは、たしかにそうなのだと思います。だからこそ、まだ大丈夫な今のうちにできる、小さな備えがあります。

整理を始めることは、引退の準備ではありません

「そのときが来たら考えよう」と思ってしまうのは、整理を始めることが、経営から退く準備のように見えるからかもしれません。

けれど、ここで考えたい整理は、経営をやめるためのものではありません。

自分が少しの間動けなくなっても、賃貸経営がそこで途切れないようにしておく。今の経営を、できるだけ長く続けるための備えです。

大家が動けなくなったからといって、家賃の入金や日常の管理まで、すべてが止まるわけではありません。止まりやすいのは、自分にしか決められないことです。

だから、最初から大がかりな制度や手続きを整える必要はありません。まずは、自分が普段どのような場面で判断し、どう答えているのか。その一部を、家族にも分かる形にしておくところから始められます。

それでも手をつけにくいのは、なぜなのでしょうか。

気が重いのは、備えを大きく見積もっているからかもしれません

先送りにしている自覚は、たぶんあります。ただ、単に面倒だからというのとは、少し違う。考えようとすると、なんとなく気が重くなる。

その背景には、ふたつの思い込みがあるのかもしれません。

ひとつは、さきほど触れた、整理を始めること自体が引退の準備に見える、という感覚です。まだ現役でやっているのに縁起でもない。整理と引退が、頭の中でひとつになっています。

もうひとつは、備えというと、成年後見や家族信託といった制度を調べるところから始まるのだろう、という見立てです。法律の手続きの話になると身構えますし、そこまでの段階ではない、とも思う。

このふたつが重なると、備えが実際よりずっと大きな仕事に見えてきます。大きく見えるほど手をつけにくくなり、結局、今は考えないまま蓋をしてしまう。

では実際のところ、備える範囲はどれくらいなのか。ここから一度だけ、具体的に見てみます。

管理会社に任せていても、本人が判断できないと止まることがあります

入院して、しばらく経営から離れることになったとします。

正直に書くと、1~2ヶ月なら、案外回るかもしれません。家賃は口座に入りますし、日常の入居者対応は管理会社が受けます。引き落としも自動で動く。大家の仕事も、「どうしますか」と聞かれて、「いいよ」「やっといて」と答えるだけで済む場面が、実際には少なくありません。

管理会社を入れず、ご自身で管理している場合は、もっと早く限界が来ます。ただ、その場合は、ご本人にも想像がつきやすいでしょう。むしろ見えにくいのは、普段から管理会社に任せ、電話一本で回せている場合です。

なぜなら、電話一本で回るのは、自分が判断を伝えられる場合だけだからです。

足を骨折して入院しても、頭ははっきりしていて、電話を自由に使える。これなら、なんとか経営は回ります。けれど、緊急で搬送され、しばらく意識がはっきりしない。面会もできない。その状態では、何も伝えられません。

経営が回るかどうかを分けるのは、入院の長さでも、持っている戸数でもありません。自分の判断を伝えられるかどうかです。そして、自分がどちらになるかは、事前には選べません。

倒れた直後は、意識がはっきりするまで、面会できるようになるまで、判断が止まったまま1週間、2週間が過ぎることもあります。「1~2ヶ月なら回る」の中に、「最初の1~2週間は判断が止まる」が入っている。

しかしその間も、物件は動いています。

  • 止まらないもの——家賃の入金、日常の入居者対応、自動の引き落とし、入居者さんの生活
  • 止まるもの——入居の審査、トラブルやクレームへの対応、修繕を進めるかどうか、空室の募集条件、滞納対応の方針、自動ではない支払い

止まる側にあるのは、どれも管理会社から「どうしますか」と聞かれることです。つまり、自分にしか決められないことです。

家族が何も答えられなければ、その判断は、結局、病床の自分のところへ戻ってきます。入院しているだけでも心労がたまるところに、経営の判断まで重なる。倒れたときに一番しんどいのは、たぶんそこです。

裏を返せば、止まるのは経営全体ではありません。自分にしか決められないことだけです。備える範囲は、そこまで絞れます。

まずは、その1~2週間を家族が困らずに越えられるようにしておく。備えというのは、それくらいの大きさから始められます。

「そのときが来たら考える」の「そのとき」には、考える自分がいない

そんなに大きな備えが必要ではないことは分かった。それなら、今すぐでなくてもいいのではないか——そう思われたかもしれません。

先送りは、必ずしも悪い方法ではありません。情報が増えてから決めたほうがよいことも、実際にたくさんあります。ただ、先送りできるのは、将来の自分も今と同じように考え、答えを伝えられることが前提です。

今回備えたいのは、まさにその前提が崩れたときのことです。

自分で考え、判断を伝えられる間は、まだ「そのとき」ではありません。逆に言うと、本当に「そのとき」が来たときには、そこから考え始める余地が残っていないということでもあります。

だから、早く準備するか、もう少し待つかという話ではありません。

考えられるうちに考えておく。 やれることを今やっておくという話です。

家族に残すのは、電話番号ではなく「どう答えてきたか」

では、その1~2週間を家族が越えられるように、何を準備しておけばよいのでしょうか。

管理会社の担当者、いつもの水道屋さん、保証会社。連絡先の一覧を思い浮かべた方も多いかもしれません。たしかに、それも必要です。

ただ、先に残したいのは、電話をかける相手の一覧ではありません。電話がかかってきたときに、自分がこれまでどう答えてきたかです。

  • 入居の審査——申し込みが来たとき、何を見て、どのラインなら通してきたか
  • 修繕や原状回復——どの程度の内容や金額なら、そのまま進めてきたか
  • トラブルへの対応——どのようなことが起きたとき、これまでどう判断してきたか

止まって困るのが経営判断なら、家族に残すものも、その判断の基準になります。

連絡先は、そのあとに付いてきます。この不具合ならこの水道屋さん、電気工事ならここ、原状回復ならこの会社。ただ、かける先だけ分かっても、何を頼み、どこまで進めてよいのかが分からなければ、家族は対応できません。

電話番号なら、家族でも調べられます。管理会社に聞けば分かることも多いでしょう。

けれど、「どのラインなら入居を認めてきたか」「なぜこの業者へ頼み続けてきたのか」は、どこにも書かれていません。何十年も判断を積み重ねる中で、自分の頭の中にできてきた基準だからです。

それは、自分で考え、答えを伝えられるうちにしか残せません。

年齢や体力の変化は、湿っぽい話として避けたくなるものです。ただ、収支や建物の状態と同じように、賃貸経営に影響する条件のひとつでもあります。

最近、管理の手間を以前より負担に感じるようになったのなら、その感覚も、家族に伝えておきたい経営の情報です。変化のひとつとして言葉にしておけば、無理を重ねる前に、家族と一緒に備え方を考えられます。

まず用意するのは、判断の基準を書いたメモと、その存在を知る家族

あとは、その判断の基準を、家族が使える形にしておくだけです。

用意するものは、ふたつです。

ひとつは、判断の基準をまとめたメモです。

きれいな書類に仕上げる必要はありません。入居の審査や修繕、トラブルへの対応など、よく電話がかかってきて判断を求められる項目について、「自分ならどう答えるか」をまとめてあれば十分です。

もうひとつは、そのメモがどこにあるかを家族が知っていることです。

  • メモの置き場所と、何が書いてあるかを伝えておく
  • 自分が判断を伝えられないときは、家族がメモを取り出す
  • 管理会社との契約やメモの範囲内で、家族が対応する

これで家族は、何も分からないまま立ち止まらず、管理会社と話を始められます。

ただし、これはあくまで緊急時の備えです。家族が賃貸経営の判断をすべてできるようになるわけではありませんから、この形でもつのは、せいぜい1~2週間でしょう。

メモだけで、家族に契約や支払いなどの代理権が生まれるわけではありません。本人が判断できない状態が長く続く場合に備えるときは、委任や信託など別の仕組みを検討し、専門家へ相談します。

ここで用意するのは、判断が戻るまでの数週間を、家族が何も分からないまま迎えないための備えです。

メモ一枚でも、経営は少し外へ出ます

ここまでで用意したのは、判断の基準を書いたメモ一枚と、その場所を家族に知らせることだけです。大がかりな準備ではありません。

けれど、もし本当にその出番が来たなら、家族はそのメモを見ながら管理会社と話し、いくつかの判断をつなぐことになります。入居の申し込みに答えたり、修繕を進めるかどうかを確認したりすることもあるでしょう。

そして退院したあと、「あのとき、こういう申し込みが来た」「この修繕は、こう判断した」と、家族と経営の話をするようになります。

それまで自分の頭の中だけにあった経営が、ほんの少し、家族の側へ外に出ます。

最初は、1~2週間をつなげられるだけでも十分です。その経験を重ねながら、次は1~2ヶ月、その先は3~4ヶ月と、任せられる場面を少しずつ広げていくことができます。

備えは、一度に完成させるものではありません。小さく外へ出しながら、家族も自分も少しずつ慣れていくものです。

これは、経営から降りていく話ではありません。自分が動けないときにも経営がつながる道を一本つくっておくことで、自分のほうが長く続けやすくなります。

次に家族へ見せるものは、お金の流れかもしれません(家賃収入だけでは家族に伝わらない。賃貸経営の見せ方)。あるいは、書類や契約がどこにあるかという全体像かもしれません(子どもに迷惑をかけたくない大家さんが整理したいこと)。どちらも、このメモ一枚から続いていく整理です。

整理は、やめるための準備ではなく、続けるための備えです。備えた分だけ、経営を続ける余地は広がります。